まいにちえがお新聞

女子大生の日常のような雑記です。ラジオやってます。神木隆之介くんとウニ丼を食べるのが目下の目標です。→erimomo.com←

THE FUTURE TIMES展

今日は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのゴッチ(Vo.)が発行している新聞「THE FUTURE TIMES」の写真展にいってきました。

私はアジカンの大ファンで、3.11後のゴッチの震災復興へのかかわり方にもとても賛同している身なので、今回の写真展が5/11までと知って慌てて渋谷まで行ってきました。

タワーレコードの8Fでこじんまりと行われている展覧会でした。
1つのフロアに、フォトジャーナリストの渋谷敦志さん、佐藤慧さん、安田菜津紀さんの撮られた写真と言葉があって。

涙がでました。原発はやっぱりいらないと、つよく思いました。

福島県大熊町に住んでいた木村さんの話です。
大熊町は、3.11以降町の大半が年間積算被ばく量が50mSvを超える、警戒避難区域です。
木村さんは震災で父、妻、次女を失いました。
今は母と長女と避難生活をしていますが、次女だけが未だに行方不明らしいです。

福興浜団を作った上野さんと、木村さんの会話に、私はほんとうに胸が苦しくなりました。

木村さんは、「娘をさがしてほしい。でも、たったひとりのために、無駄に放射能をあびさせてまで他人に捜索してもらうことは申し訳ない…」と上野さんに言いました。

これを聞いた上野さんは、「一体何やってんだニッポン!東北を復興だとかキズナがどうとかいったって、ひとりのお父ちゃんを助けられないで何を言ってんだ!」と、激昂したそうです。

本当にそうだと思いました。

娘を一人探したい、ただそれだけのことも、放射能のせいでじゅうぶんに捜索することもできず、まわりに頼むことさえためらわれるなんて。
こんなにおかしくて、こんなに悲しいことがあるでしょうか。

上野さんたち福興浜団と木村さんは数人で、限られた5時間を、海辺で次女の捜索に使いました。
すると次女のつかっていた体操着が発見されたそうです。きちんと名前も残っていました。

このときにこれをみつけることは、何か意味のあることのように思える、と木村さんは言葉を残していました。

彼らは白い完全な防護服ともいえないものを着て、頭にタオルをまいて、雪が降る中捜索していました。10人にも満たない数です。
きっと寒いはずです。安全な状態ともいえません。
それでも、一人のお父さんの、娘に会いたいという思いが痛いほどわかる人たちだからこそなんだろうな、と思うと、なんだかもう…。

原発事故がなければ、みんなもっと会いたい人に会えたり、お墓参りをしたり、いつかはきっとまた帰れる場所だってあったんじゃないのか。
今、復興はすこしずつだけど進んでいて、海岸にも堤防がつくられたりしています。
けれど、3年経ったいまでも行方不明者はいます。探しつづけたいけれど、復興の邪魔になってしまう、という板挟みの状態が辛いそうです。ほんとうにそうだと思いました。

政界の上のほうのひとたちが、金や権力のために原発をどうしても推進していきたい気持ちはもうわかりました。
けれども、一般市民が原発を肯定していく理由がどうしてもわたしには見つかりません。

大切な人達が、場所が、当たり前にあった日常が、突然なくなることの恐怖は、味わわないとわからないです。
けれど、想像しただけでも、つらくてつらくて頭がおかしくなりそうです。

すこしでも、想像力をはたらかせることができれば、わかるんじゃないですか?
本当に大切なものは、いったいなんなのですか?

せっかく人間として生まれて、感情や想像力をもっているのだから、考えていくべきです。
あの大震災を経験したのだから、私たちは絶対にこの経験を後世に活かして、伝えていかなければならないと思います。

自分は直接一緒にがれきを片付けたり、捜索協力をしたりはできなかったけれど、
今ここにいるからできること、私だからできることはきっとあると思っています。

がんばってブログかいていこ。